Facebookなんて大嫌いだった
私はFacebookがあまり好きではなかった。
もともとは妹が海外で暮らしていて、私の子供の写真をみたいからはじめてほしいと言ってきたことで存在を知った。
友達には母と妹と弟しかいなかった。
かれこれ8年くらい前の話になる。
SNSで本名で登録し、インターネット上で親や親戚と繋がるなんてありえないと考えていた。twitterのフォロワーにお母さんがいたらこんなことをツイートできない。
綾野剛と会う妄想してたんだけど、じゃあもし綾野剛と本当に会うとしたら何がしたい?どんな話がしたい?って考えたら結果、「においをかぎたい!」という結論が出ました。
— あゆお (@kaishaku_1) 2016年4月27日
インターネット上で本名で登録すること、そのコミュニティに親きょうだいがいることに違和感しかなかった。
映画ソーシャルネットワークが上映されると、夫や以前の会社の同僚や上司もFacebookをはじめて、絶対にインターネットでは繋がりたくなかった「友達」が増えた。
見たくもないのに小学校や中学校の同級生が「知り合いですか?」に表示されて、好奇心から覗いてみると私以外の同級生の多くは繋がっていた。同窓会とかやってた。死にたくなった。Facebookにログインした数だけ、自分を呪わずにはいられなかった。
もちろん中には繋がって嬉しい友達もいます。でも1人でもインターネットでまで繋がりたくない苦手な人がいることが苦痛でした。主にブラック企業時代のパワハラ上司。
私はプライバシーの設定を見直して、出来る限りこれ以上誰にも発見されないようにした。
3年ほど前に、小さい頃からお兄ちゃんのように慕っていた父方のいとこが「友達」に増えた。母からの紹介だった。母はビデオデッキの録画ボタンを押したら爆発が起きると思っているくらいパソコンに疎かったのもありプライバシーの設定はガバガバだった。最近直してあげました。
いとこは私より2歳年上で今年41歳。
親が共働きだった私と妹はそのいとこの家によく預けられて、一緒に遊んでもらっていた。
小学校低学年という扱いが難しい年頃の姉妹にも優しくしてくれて、時に子供らしいいたずら坊主なところが一緒にいて楽しかった。有刺鉄線の乗り越え方教わったりした。大人になってそれを自分の子供に継承することはできなかった。あれは子供同士の間で継承されるものなんだ。
ファミコンもいとこに教わった。たけしの挑戦状をどうやっても進められなくて二人で交代で一生懸命プレイした。ファミコンの前には「ぴゅう太」というゲーム機を持っていて、今のゲーム好きな私があるのはいとこの影響が大きい。
両親が不仲で色々あって20年以上疎遠になってしまったが、私の記憶ではずっと優しくて面白いお兄ちゃんだった。
でも、Facebookで繋がることは正直気恥ずかしいものがあった。
Facebookで繋がってから、父方のいとこ同士で集まってバーベキューしたり、宮城と山形でしか行われていない伝説の芋煮会をやったりした。
あまりに久しぶりに会うので何話していいかもわからないし、どう接したらいいのかもわからず、ちょっと居心地の悪さを感じた。
今思えば、もっと今まで何をしてきたのか、どんなことを楽しんできたのか、奥さんとどうやって知り合ってどんなデートしたのか、根掘り葉掘り聞いて、もっといとこがどんな毎日をおくってきたのか聞いてみればよかったんだ。
2年前、いとこが胃ガンと診断されたことを知った。
胃を全摘出するくらいだった。
いとこがFacebookに回復する様子をアップするのを見て、ホッとした。
それからは、いとこに会うことが楽しみになった。いとこは優しくて、ひとをもてなすことが好きな人だった。
小さい頃もお兄ちゃんのように思って大好きだったけど、大人になった今でもお兄ちゃんのような存在感だった。一緒にいて安心できる人だった。
今年の3月位からFacebookへの投稿が極端に少なくなり、いつもなら花見のお誘いがくるのに何も連絡がないことに不安を感じていると母から連絡があり、いとこがホスピスに入院しているとの事だった。
私の母は大腸がんになり、ステージ5だったが再発もなく今はすっかり元気だ。叔父も10年くらい前に膀胱がんに罹ったが、今も元気にしている。
だから今時はがんは治るんだって思っていた。
でも違った。
病室に行くと、そこには漫画でしか見た事のないようなガリガリにやせ細ってホネと皮だけになったいとこがいた。
一目見て、もうダメなんだとわかった。
いとこはスキルス性の胃がんだった。
母は看護師だからわかっていたらしい。最初に胃がんの話を聞いた時には奇跡を祈る事しかできず、Facebookを見守っていたそうだ。
手を握ると、握り返す力が強いことにほんの少しの安心を見いだした。
にっこり笑って「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」と優しい言葉をかけてくれた。
私はかける言葉が見つからなかったけど「退院したらバーベキューだよ!」って言った。本当にそうなったらいいなと思ったから。
いとこの奥さんに「また来てあげてね」と言われたものの、あまりに辛い現実にまたお見舞いにいくことが怖かった。見たくなかった。
私にできることは何もないと感じたけど、何かあった時に後悔するのは嫌だったから、それから4回ほどお見舞いに行った。お見舞いと言っても5〜10分程度の訪問。
時々顔色がよく、元気そうに話すこともあって「もしかして治るんじゃ?」と思った事もあったけれど、使っている麻酔の量のことを聞いたら期待はかき消されてしまった。
夫に「残された家族との時間を大事にしてあげたほうがいいんじゃないかな」と言われて、あとはしばらくお見舞いを控えようと思った翌々日の朝、息を引き取ったと連絡があった。
最初にホスピスにいると連絡があってから、2週間のことだった。
Facebookなんて大嫌いだった。
Facebookで親とか親戚と繋がるなんて面倒だと思っていた。
でも、本名で登録していたからこそ、母がやっていたからこそ、いとこと再度繋がりをもつことができた。
彼の人生の最後に「子供の頃はあなたのおかげでとても幸せだったよ。楽しかったよ。本当にありがとう。たけしの挑戦状はクソゲーで進められなくて当然らしい。」と伝えることができた。
ザッカーバーグさんありがとう。
Facebookがあってよかった。