毎日毎日怒りすぎてしまった…と後悔…
子供が今年12歳になる。
うまれてから干支が一周した。
新卒で就職してからはずっと自分ひとりのことだけを考えてふらふら生きていたので、妊娠を知ったその日から1日1日が大変だった。自分ではないおなかのちいさい命を大切にすることはとても難易度の高いことだ。
うまれたときは元気に育ってくれたらそれでいいという気持ちでいっぱいになる。
なのに息子が小学校に入学した時から私は少し息子に期待しすぎるようになってしまった。
もう1年生なのに忘れ物ばっかり。
もう1年生なのにちっとも授業を聞いていない。
もう1年生なのにランドセルの中でお便りがぐちゃぐちゃになっている。
もう1年生なのに言われないと宿題ができない。
今なら「まだ1年生なんて幼いから忘れ物が多くてもしょうがない」と思えるんだけれど、当時は「もう1年生なんだから何でもできるはず」と息子に期待しすぎてしまい、厳しくしすぎてしまったことを後悔している。
話は変わって、私のことを少し。
私は3人きょうだいの長女だ。
2歳下の妹と6歳下の弟がいる。
母はとても厳しく口うるさい人だった。
例えば、中学生になると周りの同級生はバスと地下鉄を乗り継いで仙台駅前に行きショッピングを楽しむようになるのだけれど、私は親から「子供だけで仙台駅前に行くのはダメ」と言われて一回も許してもらえなかった。
高校生になると周りの同級生の子も門限は21時だったけれど、私は19時だった。
19時なんて下校するだけでその時間になってしまい、寄り道して遊ぶこともできない。
親には「うちはうち、よそはよそ」とよく言われ、それが我が家の教育方針なのだと渋々理解することにしていた。
しかし、母は妹や弟にゆるく、中学生になると友達同士で仙台駅前に行くことは快諾するし、高校生になれば門限は21時になった。
当時の私は母に「なんで私ばっかり厳しいの!?」と問い詰めたけれど、母は「あんたがオッチョコチョイで心配だったから」と答えた。
私も自分のオッチョコチョイさには多少の自信があったから、母が厳しくなってしまったのもしょうがないことだったのかもしれないと思った。
また、私がやりたいことがあると相談すれば反対され「女は事務職が安定」みたいな価値観を押し付けられていた。母自身が公務員だったため、安定した職業に就くことこそが幸せだと思っていたのだろう。私もつい数年前までそれをある程度信じていた。
しかし私が高校2年になると門限を守ることはなくなる。閉店までゲーセンで対戦格闘ゲームに明け暮れ日付が変わる頃帰宅するようになり、卒業後公務員になることはなく、高卒で事務職に就職したもののうまくいかず1年も経たずに退職し、その後フリーターとしてふらふらすることになる。
数年前、念願だった安定した職場に就職したのに結局は人間関係で詰んで精神を病み長く続けることはできなかった。安定した職場に就職=幸せではなかった。
今考えてみれば、母にとって全てがはじめての子育てとなる私に期待しすぎたり、厳しくしすぎてしまったり、将来の進路に過干渉気味だったことを後悔して妹や弟に対してゆるくなったということではないだろうか。
妹は高卒後アメリカに留学し、弟は東京の大学に進学し、自由にやりたいように自分の好きなことを追っていたというか、母が追わせてあげていた。
妹が留学先でギターを買って国際電話で演奏を聴かせ母のカードに電話代とギター代の高額な請求がきたことも今は笑い話になっている。
我が家はひとりっこだけれど、もし二人目がいたら長男に期待しすぎたことや厳しくしすぎてしまったことを反省し、もう少しゆったりとした視点で成長を見守れたのかもしれない。でも二人目はいないので、この反省をこれからの子育てに生したい。
来年、息子はとうとう中学生になる。
子供が子どもでいてくれる残り時間は短いのかもしれない。
だっこしたり、甘えられたり、手をつないで歩いたり、一緒に寝たり…ということは、もうなくなってしまう。一生できなくなってしまう。
今はまだギリギリ子どもでいてくれていることを楽しみつつ、これから後悔のないように子育てができたらいいな。
もう中学1年生なんだから!という期待より、まだまだ中学1年生されど中学1年生という気持ちでうまく、こう、バランスとって見守れたら理想なのかどうか。
とはいえ去年くらいから息子が反抗期に差し掛かり、私も「うきー!!!!」となってしまうことも多々あり、日々子育ての後悔は積み重なる。
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