サンタ制度のあったご家庭の方は、何才で気づきましたか?
息子も小学4年生になってそろそろ感づいてはいるものの、信じているようなそぶりもあるので今年もいちおうサンタさんが我が家にも来ることになりました。
私はいつサンタが親だと気づいたのか記憶がありません。
幼稚園児くらいの頃はサンタさんが来て枕元に戦隊モノの超合金フィギュアを置いていってくれた事を覚えています。
なんで記憶にないのかと考えてみたのですが、私の家は両親がとても不仲で毎日喧嘩ばかりしていました。
私は両親の怒鳴りあいを聞いて起きて泣く妹を慰めながら、両親にむかって「喧嘩はやめて」というようなしっかりしたお姉ちゃんでもなく、ただただ妹と一緒に布団にくるまって耳をふさぎ、おとうさんとおかあさんがいつか仲良くなる日がきますようにと祈っていました。
両親は私が小学3年生の時に別居して、私と妹は父方に引き取られました。弟は母方へ。しかし2年くらいで父が事故死して母の元へ戻りました。
それから母は女手ひとつで三人の子どもを育ててくれましたが、幸い母は手に職があったので金銭的に困ることはありませんでした。
ただ精神的にはあまり余裕がなかったと思います。
そんなすったもんだがあった頃から、サンタの記憶はもうありません。
私が親になって思ってみたのは、サンタ制度というのは私や夫に余裕があってはじめて成り立っていると感じています。他のご家庭のことは解らないけど、私自身はそうなんじゃないかなと思いました。
ゆうべはクリスマスイブで、サンタさんが諸般の事情によりセカンドストリートで入手したiPod nano(第7世代)を息子の枕元に仕込む日だったみたいなので便乗して私も何かお願いをしてみようかなと思いました。
お金とか、仕事とか、海外旅行とか、色々考えてみたんですけど、私は夫と息子がこうして毎日当たり前のように元気に生きて家族仲良く暮らしていることが一番幸せで、こんな毎日がずっと続きますようにとお願いしました。
サンタさんも、まぁ、平和の象徴ということで息子が楽しみにしている限りは続けてもいいのかなと思っています。
今日は今年最後の勤務日。私は明日から9連休であることに浮かれながら通勤していると今年一年の疲れからか、黒塗りの高級車に追突してしまう。後輩をかばいすべての責任を負ったあゆおに対し、車の主、暴力団員谷岡に言い渡された示談の条件とは…。
黒塗りの高級車に追突してしまうbot (@jidan_no_jouken) | Twitter