Facebookは便利だと思っていた。
私は登録した当初は親と妹しか友達がいなかった。離れて住む家族に子供の写真を見せるためのツールだった。とくに妹は海外に住んでいて滅多に会えないので、Facebookをはじめたのもそんな妹のすすめからだった。
映画「ソーシャルネットワーク」が上映されると夫もFacebookのアカウントをつくり、今では義母さんもつくって子供の様子をシェアするツールとなっている。
夫とのやり取りもFacebookを通して行われることが多いし、住む場所は離れてしまったけど仲の良かった友人や元同僚たちと近況を報告し合えるから楽しんで使っていた。
英語の勉強をしていた私は、帰国子女の友人の紹介で外国人の方とも繋がりを持つことができて、英語でメッセージのやり取りをしてみる等、Facebookを楽しんでいた。
世間ではFacebookに否定的な意見も目立つことがあるが、私は肯定的な気持ちを持っていた。
でもFacebookを辞めたくなる瞬間は突然やってきた。
マークザッカーバーグという希代のインターネットストーカーによって創られたFacebookによる「知り合いですか」だとか「people you may know」の文字とともに表示される「知り合いである可能性のあるアカウント」という通知。
この中に何の脈絡もなく、何のつながりもないし、卒業してからずっと疎遠かつ連絡先なんてもちろん知らないのに、小中学校の同級生が表示された。
何故わかったザッカーバーグ…。
もしかしてFacebookのサーバールームにはインターネットストーカーの脳みそが集められたシビュラシステムのようなものがあるのではないでしょうか。
ザッカーバーグにいいたい。
ああ、知り合いさ。知り合いだよ。知ってるよ。でもね、もう知り合いじゃないんだよ!
って。
悪魔の囁きが聞こえて私は表示された小中学校の同級生のアカウントの友達欄を覗いた。
繋がっている。
結構みんな繋がっている。
繋がっているからこそ、同姓同名の他人ではなく、同級生のアカウントであるということがハッキリした。ハッキリすると次々に繋がっている同級生同士が見つかる。
田舎の学校でクラスメイトが少なかったからすぐわかる。
疎外感で死にそう。
一度クリックしてしまうと学習するようで、同級生がたくさん「知り合いですか?」に表示されるようになった。
小中学生の頃は友達がいなくてボッチだったから思い出したくなくて見たくなかった。知りたくなかった。ボッチだったのはいじめられていたわけじゃなく、私がうまく輪に入れなかっただけ。
でもその疎外感を20年以上の時を経てなお感じる事になってしまった。
Facebookが悪いんじゃない。同級生が悪いんじゃない。輪に入れなかった私、クリックした私が悪かった。
Facebook?便利だよね~♪とか言ってリア充ぶってた私が悪かった。
しかし学校でクラスメイトの輪に入れなかったからと言って何なんだろう。
とくに気にする必要もないような気がしてきた。
私には今の私の暮らしがあり、友人があり、居場所がある。
小中学生の頃は存在しなかった、インターネットという居場所が。