エレカシの宮本さんの寝起きのような、洗った髪の毛をそのまま自然乾燥させたような、清潔そうなボサボサ感あふれる髪型には決まったスタイリストが憑いていると、私がいつもいく美容院の美容師さんが力説していた。
私もそう思う。
憑いてる。
多分ずっと憑いてる。
あのボサボサ感にはこだわりを感じられる。願わくばそのスタイリストさんとお会いしてあのボサボサにスタイルする術を伝授してほしいと思っている。金ならいくらでも払う。あんまりないけどできるだけ払う。
宮本さんの髪型は無造作ではない。無造作というのは、手軽にやってのける様である。宮本さんの髪型は手入れを必要としていない。手軽にやってのけるどころか、何もしていないのだ。だから無造作とは違う。ボサボサ以外の表現が私には思い浮かばない。全部憶測だけど。
美容師さんにあのボサボサ感はセットで出せますかと尋ねた所「あれは難しいです。自然なようで、作為的なものを感じる。そう…計算高さ…。でもどちらかと言えば自然に見える。」と答えてくれました。せっかくある程度整えても自分でぐしゃぐしゃにしてしまうのだろうけど、それを見越して計算しつくされた美しさがあのボサボサ髪には宿っている。だから自然に見えるんだ。そうに違いない。知らないけど絶対にそう。
一応スタイリストがついていると感じる根拠がひとつだけあって、どんなにボサボサでもトップにボリュームがあってカッコよく見えることです。ボサボサでもトップがなくぺしゃんこになっていると貧相に見えてしまう。でも宮本さんはいつもトップがふわっふわしている。
私は宮本さんの髪の毛に生まれ変わって抜け落ちるその時まで、毎日ぐしゃぐしゃにされたい。
私が何気なく言ってしまった言葉で宮本さんの機嫌が悪くなったら、私はただひとこと「ごめんなさい」と言って黙って側にいたい。
そのうちに宮本さんがどこかに出かけてしまったり、数日帰ってこなかったりするのかもしれないけど、それでもいつか気が向いたら帰宅するだろうと信じているから、家をあたたかくして待っていたい。
ひょっこり帰宅した宮本さんは何も言わずに私の頭をなでて、髪の毛をぐしゃぐしゃにしてくれる。
そうしておそろいの髪型になる瞬間、私は愛されている幸せを実感するのだった。
ここまで書いて宮本さんと同棲している妄想から目が覚めました。
それではみなさん、さようなら。