電車にいる死んだ目のサラリーマンが話題になっていて、気になったことがありました。
私は電車にいないけど、通勤中の車の中で死んだ目をしているパートタイムワーカーです。
眼?
…とうの昔に、腐らさせてきた。
初めて就職したのは20年前。あの時死んだ目はもう完全に腐っている。
ハエがぶんぶんたかっているフレッシュな死んだ目をとおりこして、カピカピになっている。
何故就職したら目が死んでしまったのか忘れてたので考えてみた。
目が死ぬというのは、まどかマギカで言えばソウルジェムが真っ黒になる瞬間だと思う。
シュタゲで言うと、綯さんがまゆしぃを電車のホームに突き飛ばした瞬間。
アニオタじゃない人にも解りやすく説明すると、希望が絶望に変わったその瞬間、目が死ぬ。
長期間絶望にさらされているうちに目は腐っていく。そうして空洞のような、死んだ魚のような、表情全体が腐っていって感情のやり場が他人と目を合わせなくても済むインターネットだけになる。
私の希望が絶望に変わった瞬間は、間違いなくはじめての就職だ。
会社やまわりに問題があったわけじゃない。私は結構あの仕事を気に入っていたし、楽しんでいた。同僚も仲良くて女性の先輩方にもとても優しくしてもらっていた。おじさんたちのセクハラは気持ち悪いとは思っていたけれど、それを共有できる同僚がいたから苦にはならなかったし笑い話にできていた。
これから頑張って働いて、お金をためて好きな事をするんだという希望に満ちていた。
だが社会人には夏休み、冬休み、春休みが存在しなかった。
あるにはあったけど、長くて4~5日。お盆休み。
解ってたはずだった。
社会人になったら学生の夏休みのような長期休暇なんてないことは。
あの学生時代のような何の抵抗もなく自由に全力で楽しめる夏休みなんて二度と来ないという事を心の底から実感した時、私は絶望した。
目が死んだ瞬間だった。
一ヶ月休もうと思えば休めるかもしれない。
でもそれは学生と違って責任がともなう。
会社の仕事は?
仕事をやめたとしても、生活費は?
じゃあ私は長期休暇もないまま、毎日毎日ずっと会社に通わなくてはいけないのか?
定年退職の年齢になるその日まで。
おばあちゃんになっちまうじゃないか…。
何十年も夏休みがないなんて、耐えられない。
私は夏休みが二度と訪れないという事実に気が付いてから10ヶ月後、仕事をやめて山奥にある実家に戻った。
数か月ニートとして暮らしたものの目が生き返ることはなかった。
私にはもう、あの何でもできるような気持ちになるほどの解放感があふれ輝く夏休みは二度と訪れない。
だから私は決めたんだ。
息子が大学を卒業したら、今度は私が大学生になろうと。
大学生になれたら、私の目はふたたび輝きを取り戻してくれるのだろうか。
でも本当は解っている。
大学にいったらいったで、若い人の可能性や才能を見てまた絶望して目が再度死ぬことくらい解ってる。
それでも希望を抱かずには生きていけないから、希望を抱いては絶望してを繰り返し、解放的な夏休みなんて二度と訪れないことを理解するしかない私は何度も目を殺す。